将来への不安

10/12

from my house

最近はアポの予定も多くあり外食する機会が多くなった。アポは友達とすることもあるが改まって真面目な話をするのでビジネスパートナーや仲間という見方で僕は話すので少しの緊張感は持つし与えることを意識している。同じ外食でも友達とワイワイ飲むときとアポでは姿勢が自分の中では全然違う。大学に入ってからたまにあるのだが、地元に久しぶりに帰って中学や高校の仲間と飲みに行った時に違和感を感じるようになった。現役の時と久しぶりに会った時の会話とでは何かが違う。当時はその違和感しか感じられなかッたけど今ならわかる。それは熱量である。あの頃は、部活も遊びも本気でやって将来のことなどうっすらしか考えていなかった。だから今を全力で生きて毎日を楽しんでいた。しかし、大学に入ってどこか冷めてしまっている自分がいた。それは仲間も同じで現実に満足しないことを多くあるのだろう。そうなってくるとある厄介なものが生まれてくる。それは愚痴だ。飲み会や仲間と会った時に愚痴をいうのは一番やってはいけない。誰も幸せに慣れないからだ。それで知り合いも登場して笑いがあるのならまだいいが、全く知らない奴とのエピソードを聞いても悲しくなる。自分は現状に満足していない悲しい人間なんです。と主張しているようなものだ。僕自身も今思い返すと言ってしまっていたこともあると思い恥ずかしい。愚痴を言って間接的に主張しなくてもまっすぐに悩みがあるなら主張してほしい。自分の薄っぺらいプライドを守るために自己肯定する必要はない。助けが必要なら声をあげて頼るといい。僕自身はその違和感に気付いて愚痴を言う人の気持ちも考えたから解釈できるようになった。大人になって社会に出てストレスなんていくらでもかかる。それをマイナスに取るのかプラスに考えるのかで人生は必ず変わってくる。しかし将来に希望がなければプラスに考えるのは難しい。だから僕は、そうゆう人たちに希望を持たせる人になりたい。本当は本心ではわかっているけど他人に言うのは恥ずかしい。だったら挑戦せずに安定に。そしたら何も言われないし生きてはいける。しかしそれがあなたの理想の生き方なのか?人それぞれ小さい時には夢が会って理想の大人像が会ったはずだ。それは果たして叶えられているのか?社会やら常識とやらにとらわれて言い訳しているだけではないのか?一歩前へ出る勇気があれば人は変わることができる。大人でも変わることができる。自分が変われば周りが変わる。そう信じて僕はこの数年生きてきた。恥ずかしくて言えないことがあっても僕は全てを受け入れることができる。決して笑わない。批判をしない。最近よく思うのだが、批判するってことはどこかで悔しいとか嫉妬していることがあると思う。僕も批判したい人はいるがその人は自分にできないことを堂々とやっているから嫉妬しているのだ。僕自身は、人の夢を引き出して理想の自分を見つけていける人を増やしていきたい。

伝えたかったこととだいぶ脱線してしまったが、将来に不安を持っているのはみんな同じだ。ただそこで一歩前出るのか同じ場所に居続けるのかで人生が変わる。リスクを取らないことが最大のリスクとなるのだ。みんなで立ち上がろう。想いがあって挑戦する人はかっこいい。かっこいい大人を増やしていきたい。心を開いて本心を言ってもらえる話とその夢を叶えられるような選択肢を与えられるような人になりたい。

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